灘公園の園地にて起床!
6時22分起床。
人様の目を気にしなくてよいとなると、俄然遅起きですw
ちなみに、昨夜からのキャンプ地はこんな感じ。
ホントに何もないだだっ広い草地ですが、数十m歩けば水洗トイレもあります。
目の前を走り回るイノシシを眺めながら、身支度を整え→10時過ぎ出発。
5000円ゲットのチャンスでしたが!
素早すぎて写真も撮れないくらいなので、ワタクシの動体視力じゃ所詮無理w( ̄▽ ̄)
(ちなみに昨日の様子はこちら↓↓)
(5000円ゲットの詳細はこちら↓↓)
出発!
昨夜は念願の入浴も叶い、打ち戻りも考えましたが、やはり足摺岬を堪能しつつのコースで進む事に致します。
10時40分。前回来た時に昼寝した「足摺遍路小屋」にて休憩。
この辺りはダルマ夕陽が見られる名所らしく、水・トイレがあれば良いキャンプ地になるのに残念です( ´△`)
その後、昨日の「我儘野宿遍路のオッサン」が言っていた「曲がりくねったr27足摺岬公園線」を回避する為の歩き遍路道入り口に到着。
工事はしてましたが、特に引き止められる事もなく、ショートカット成功!(・∀・)
道も気持ちの良い山道でした。
※2016年に松尾トンネルが開通。
くねくね道を回避できるようになり、土佐清水市街~足摺岬までの所要時間も8分短縮されたそう。
ジョン万次郎生誕の地へ!
県道に戻り→13時、中浜の集落に到着。
ここはあの!某居酒屋チェーンの名前としても有名な!?
「ジョン万次郎=中浜万次郎」の出生地だそう!
一介の名も無き漁師が中浜出身だったからこそ、名字も中浜と付けたのではないか!?・・・というのは、この地にて初めて気付きましたw
万次郎の生家(復元)が遍路道から120m程しか離れていないとの事だったので、お立ち寄りしてみます。
室内は一間のみ。
パッと見、金のかけていないアイヌチセと同程度の規模。
とはいうものの、置いてあったジョン万の資料がなかなか興味深く、参考になりました。
「冒険とは夢を形に変える行動力である」
不撓不屈の精神=ジョンマンスピリットは、今後のワタクシの生き方にも参考にしたいものであります( ̄ー ̄)
中浜の集落の外れの地蔵堂(トイレは無いが中で泊まれる)でモグモグタイム後→出発。
(ジョン万の詳細は追記にて)
再度出発!
中浜を過ぎた後、今度は土佐清水市街に向かうショートカットの歩き遍路道へ入ります。
これがまた、結構な獣道で・・・(;´Д`)
しばらく人が通っていないか、草の繁殖力の方が勝ってると見たw
まあ、ほとんどの人が三十八番打った後はそのまま引き返すルートを選んでるわけなので、それも致し方あるまい。
(ちなみに一番ポピュラーなのが「ドライブイン水車」まで戻って→三原村経由のルートです)
(三十九番札所に向かう各ルートの詳細はこちら↓↓)
土佐清水市街に到着!
山道を抜け、15時過ぎに土佐清水市街に到着。
ホームセンターやスーパー、コンビニ、銭湯まで揃う、久々にビックな都会です。
当初は「足摺黒潮市場」や「鹿島神社」に隣接する「鹿島公園」で瀬降る予定でしたが!?
数km歩けば居心地の良い「じんべえ広場」に帰れるので、スーパーで買い出しして帰還する事に致しました。
連日の魚攻撃に少々飽きが来ていたので、洋食系惣菜をガッツリと買い込み、今夜はワインで晩酌と勢いこむワタクシ( ̄▽ ̄)
帰還!
道中、中年女性から車接待の申し出を受けるも、たかだか数kmなので有り難くお断りし→16時半頃、以布利の集落に到着。
懐かしき「じんべえ広場」では「植木屋チャリ遍路の水川さん」が未だ滞在中。
さらに「個人宅専門の托鉢遍路のオッサン」が今日の宿泊メンバーです。(門付け遍路ともいう)
滅多にスーパーの肉系惣菜など食べないであろう二人にお裾分けしつつ・・・。
今日のメニューは、スパゲッティミートソースにトンカツ、チーズ、シーザーサラダに発泡酒とワイン・・・我ながら凄い豪華w
よほど洋食に飢えていたのだろうと思われますw
水上さんからは、「醤油+ビール+生姜でヅケにした朝捕れキビナゴ」をお裾分け頂きました。
あざーす!(・∀・)
宴の夜も更けて
その後、酒も無くなった頃、リエさんとユウトが天婦羅を持って現れました。
そして、あろう事か、出産する友人の為にワタクシの納め札が1枚欲しいという。
住所と名前と日付さえ書けば出来上がり!のこんな物で良ければいくらでも差し上げたいところです。
すると横から「私のはいいのかい?」と托鉢遍路のオッサンが口を挟んできました。
リエさんの方も「じゃあ、お願いします」という事になり、オッサンの台詞が「それがいい。私の札は金だから( ̄ー ̄)ドヤ顔」
・・・ウゼーーーー!!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!
おのれは全て歩いて50周以上してんのかっっ!!
まだ「納経しません」とか、「何回巡っても私の札は白です」とか言ってる方が可愛げがあるっつーの。
実際にはちゃんと回って金なのかも知れませんが、ワタクシの勘がコイツはインチキだと囁いておるわ!!(`曲´#)
まあ、そんな感じで夜も更けて、20時半過ぎには寒いので解散→就寝。
ちなみに「納め札」ってこういうもんです↓↓
各霊場をお参りした際に、本堂・大師堂に参拝した証として納める札。お接待を受けた際には、御礼として手渡すのが慣習。
※住所は全ては書かない。まとめ書きする時は、〇月吉日で済ませておく事がほとんどでした( ̄▽ ̄)
おまけ
2008年四国遍路での「三十八番札所」~寝場所までの様子はこちらで。
歩行距離 15.72㎞くらい
お接待された物 食糧の数々
- 9品目のサラダ 105円
- シーザーサラダドレッシング 38円
- ワイン 310円
- 発泡酒 320円
- ベビーチーズ 148円
- ロース豚カツ 290円
- ソース 20円
- 納豆 98円
- 辛ラーメン 100円、
- 牛乳 58円
- サッポロ一番みそ 98円
- あさげ 208円
- 煙草 440円
計2233円
2020追記
ジョン万次郎について
- 1827年(文政10年) 高知県土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれる。
- 9歳で父親を亡くし、幼い時から稼ぎに出る。
- 1841年(天保12年) 14歳だった万次郎は仲間と共に漁に出て遭難→数日間の漂流後、太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着。
- 「鳥島」で143日間の過酷な無人島生活後→アメリカの捕鯨船に救助される。
- 日本が鎖国中だったため、故郷に戻る術もなく→船長の養子になって、そのままアメリカへ。
- 寝る間も惜しんで、英語・数学・測量・航海術・造船技術を学び首席で卒業。
- 捕鯨船→金鉱で働き帰国資金を稼いだのち→1851年(嘉永4年)薩摩藩領の琉球(沖縄)に上陸。
- 薩摩藩・長崎奉行所にて長期に亘って取り調べを受けたのち→1853年(嘉永6年)に土佐藩に帰郷。
- 帰郷後は幕府に招聘され江戸へ→翻訳や通訳、造船指揮、人材育成にと精力的に働く。
- 西洋知識を貪欲に吸収しようとしていた幕末の志士や知識人達に多大な影響を与える。
(ジョン万次郎の生涯についてはこちらで↓↓)
本日の日記はいかがでしたでしょうか?
ちなみに納め札の色ですが。
「4巡目までが白」「5~6巡目が緑」「7~24巡目が赤」「25~49巡目が銀」「50~99巡目が金」「100巡目以上が錦」と定められています。
参考までに!( ̄▽ ̄)
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つーわけで、To be continued!(・∀・)
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