道の駅  スペース・アップルよいちにて起床!

朝5時半起床。

米を炊いて、納豆ご飯の朝食。

昨夜のチャリダー君に、「これで好きな飲み物でも買え」と150円を渡し、プチお接待を試みてみました。

しかし逆に恐縮され、礼文島の8時間コースで拾ってきたという綺麗な石を代わりに頂いてしまう。

任務成功か否かは微妙・・・なんとなく、わらしべ長者的な気分なり( ̄▽ ̄)


チャリダー君を見送って、ワタクシも出立の用意をしていると、今度はキャンピングカーのオジサンに呼び止められ、しばし歓談→ミニトマト一袋を頂く。

オジサンは自宅を売った金でキャンピングカーを購入し、この先の人生ずっと旅をして暮らすそうです。

ちょっぴり羨ましく思いますが、宝くじでも当たらぬ限り無理だわな。(;´Д`)

オジサンとの話で意外と時間をくい、8時出発。



R229雷電国道(セタカムイライン)~r913野塚婦美線へ

本日の手始めのミッションは、積丹半島をぐるりと周遊でーす。

余市町から古平町を抜けて、積丹町に入り、「日本の渚100景」選出の「積丹岬の島武意海岸」に到着。

相変わらずの絶景ですが、天気のせいかシャコタンブルーを垣間見る事はできず残念!

(ちなみに、前回の積丹半島探訪記はこちら↓↓)

ライダーハウス旧萱野駅

北海道カブプチ旅~ど根性旅に出発!(4泊5日読み切りVer.)

2008年10月3日

いざ!女人禁制の地へ!!

r913から再度R229に合流し、向かった先は女人禁制の地神威岬」ザンス!(今は解禁)

以前もここには足を伸ばしてはいるものの、片道徒歩20分、禁煙というのがネックで、結局見に行かず仕舞いで終了しております。

しかし先日、職場の友人から「積丹に行くなら神威岬は絶対に行くべき」と猛烈なプッシュを頂きまして・・・今回再リベンジとなった次第です。

そんなわけで、「女人禁制の門」をくぐり、神威岬突端へと続く、「チャレンカの小道」を進んでみます。

(ちなみに女人禁制についての詳細は、2019追記にて)

道のり的には特にキツくもなく、気分はプチトレッキング。

風景も綺麗だし、時間があるなら歩いて損はない場所だと思いました。

欲をいえば、遊歩道から望む「念仏トンネル」も解禁にして頂ければ嬉しいかも!?

(念仏トンネルについても詳細は、2019追記にて)

岬突端では、神威岩を眺めながら、今朝のオジサンからもらったミニトマトを食べてみたり。

味が濃厚でなかなか美味しかったデス。


R229(カブトライン)~r66岩内洞爺線へ

積丹町から神恵内村を抜けて、泊村へ。

途中のセイコーマートにて100円パスタ(カルボナーラ)で小腹を満たしつつ、小休憩。

その後、岩内町で給油をした後は、「島武意海岸」「神威岬」に続く、ミッション其の3!

ライダーにも人気の「r66岩内洞爺線(ニセコパノラマライン)」にて、岩内町から蘭越町、ニセコ町、真狩村、留寿都町と駆け抜けてみました。

ワタクシの苦手な縦溝道も若干ありますが、車も少なく快適な道。

これで後方羊蹄山が完璧に望めれば、さぞ爽快だろうてなもんザンス。

2010/08/25 15:19 どこで撮ったか判らないヒグマ

ちなみに「道の駅ルスツ230」で食べたコロッケ(100円)がサクカリで素敵に美味しかったです。

おススメ!(・∀・)



r66からr578洞爺虻田線へ

留寿都町を抜けて、洞爺湖町に入ります。

泊村のとまりんや、r66沿いから片道徒歩20分の神仙沼、倶知安の半月湖などなど、他にも寄りたい所も多々ありましたが~。

いかんせん今回の日程は3泊4日。スケジュールの都合もありますので、これらは、また次回っつー事で本日の行程終了~。

今夜は洞爺湖湖畔の「とうや小公園キャンプ場(500円)」にてテント泊です。

目の前がすぐ湖で、トイレも水洗、ゴミ捨て場もあり、セイコマや公共温泉も近くに完備ってのが高ポイント。

強いて言えば、ファミキャン二組が、近くで陣取ってるのが気になりますが・・・(;´Д`)

もしや、浜益の悪夢再び!? (((( ;゚Д゚)))

(ちなみに、浜益の悪夢についてはこちら参照↓↓)

北海道プチカブ旅2日目~蝦夷を横から眺めてみたら

2010年6月19日

風呂入って→花火見ながら酒飲んで→就寝。

走行距離 206km

2019追記

女人禁制の神威岬について

古くから海上交通の難所として知られ、1855年(安政2年)までは女人禁制の地ともされてきていた神威岬。

禁制の由来は、義経北行伝説から始まったと伝えられています。

神威岬について

時は平安時代末期。

奥州平泉から逃れ、蝦夷地へと渡り、日高地方の平取に身を寄せた源義経。

ここで、義経は、日高アイヌの首長の娘チャレンカと恋仲になりました。

その後、義経一行は追手から逃れるため北へ向かい、義経を慕ったチャレンカもまた、神威岬まで一行の後を追ってきましたが、時すでに遅し。

すでに義経を乗せた船は大陸に向かって出航した後で、チャレンカの必死の叫びも、強風にかき消され届くことはありませんでした。

悲しみにくれたチャレンカは、「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐれば、すなわち覆沈せん」と恨みの言葉を残し、海に身を投げてしまったそうです。

その姿が岩となったのが神威岩で、以来、女性を乗せた船が岬の沖を通ると、船は必ず転覆したと云われています。

その後、チャレンカの悲しみに引きずられるように、岬から身を投げる自殺者が後を絶たず、 この辺りの土地は、世と別れる町「よべつ」と呼ばれるようになり、神威岬は女人禁制の地に。

この決まりは、明治時代初期まで続く事となったそうです。

・・・という、義経・・・さては何かやらかしたな!?感でいっぱいの伝説ですが。

実際は、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた、松前藩による規制と考えられているそうです。

その後、1855年に蝦夷地一帯が幕府直轄下におかれると、女人禁制は解かれ、奥地への定住が進んでいったそうで。

日露戦争時には、ロシア艦隊の来襲に備えて監視所も設けられていたとの事。


念仏トンネルについて

念仏トンネルとは

神威岬近くのワクシリ岬にある、全長60mの手掘りのトンネル。

1912年(大正元年)、灯台守の家族が余別市街へ買い出しに行く途中、ワクシリ岬付近で荒波に足をさらわれ死亡するという事故が起きたのを契機に、1914年(大正3年)に着工。

この、ワクシリ岬は上は断崖絶壁、下は波打ち際の険しい地形で、凪ぎや干潮の時は渡ることが出来るものの、そうでないときは容易に越えることの出来ない難所だったそうです。

開削作業は岬の西側と東側の両方から同時に始められ、手掘りで掘り進んでいったものの、トンネルの中央で食い違いが生じ、工事は頓挫。

村人たちが、犠牲者の供養をふくめ、双方から念仏を唱え鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が解り、工事は無事に再開→1918年(大正7年)に開通したとの事。

開削の経緯から「念仏トンネル」と呼ばれ、「念仏を唱えながら通ると安全である」とも言われていたそうです。

4年の歳月をかけて開通したトンネルですが、現在は立入禁止。(落石などで危険らしい)

ちなみに、この付近は自殺の名所だった為(神威岬についてを参照)

  • 決して後ろを振り返らないこと
  • 左側の壁を伝って歩くこと(岬に向かう時)
  • 写真を撮らないこと

というローカルルールもあったようです。


とうや小公園キャンプ場について

  • 開設期間 4月下旬~10月下旬
  • 利用料 テント(1~2人用)・タープは、各一張り700円。テント(3人用以上)・スクリーンは、各一張り1200円。(管理人巡回)
  • セイコマまで600m、洞爺いこいの家(日帰り温泉)まで2km(大人440円、10~20時20分受付、第1、第3月曜休み)

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