夜中に雨が降りました。

しかしさすがフライ付きテント、快適な一夜を過ごす事ができました。

買ってよかった、お気に入りの一品でございます(〃▽〃)

テントを撤収し出発~!


まずは道の駅  知床・らうすにお立ち寄り~。

お土産屋のオジサンに呼び止められ、食べさせてもらっても買えないっすよ~と念押ししながらも、蟹を味見させて頂く。

ワタクシ的には今年の初蟹。

こりゃ美味いわ~と、ふと見ると。

売店に、カニ汁350円の文字があり、ザンギなども付いたおにぎりセットも売っています。

朝ご飯はここで決定ーー!(・∀・)

蟹脚がゴロゴロ入って、こりゃまた美味い。

朝から贅沢をしてしまいました^^


本日の予定は如何に!?

今日は夕方から全道的に大雨だそうで、これからどこに向かうか一人作戦会議。

内陸に向かうか・・・さらに道東を味わうか・・・今夜は屋根のある所に泊まろうと思いつつ、迷うところです。

当初の予定としては、本土最東端から朝日でも眺めてやろうと思っていたのですが~。

泣く子とお天気には勝てません(´Д⊂

だけど内陸に向かっても同じ事。

それならば。まだ未踏の土地へ向かった方が、面白みがあるかと思われます。

そんなわけで、予定通り根室方面へ向かいます。



まずは、R335国後国道を南下

羅臼町を抜けて、標津町へ。

本日のミッション①は返せ北方領土見学です。

トドワラで有名な野付半島の近く、標津町の市街地にある北方領土館。(入館は無料)

第二次世界大戦が終わるまでの間、北方領土に住んでいた人々の写真や、北方領土返還運動に関する歴史資料アレコレなど展示してあり、小規模施設のわりに中身はなかなか濃い内容です。

今まで北方領土といっても、なんかしらんが、いざこざがあったんだな~とか。

団体職員が必死になってるわ~とか。

正直、ワタクシには関係のない、遠い世界の出来事として考えておりました。


館内資料によると。

~1855年(安政元年)、伊豆の下田にて日魯通好条約が締結~

択捉島から南は日本の領土で、千島列島はロシアの領土だよとお互い確認しあった条約。

樺太は国境を決めずに両国混住にしておきましょうとなったとの事。

択捉島以南の北方四島は日本の領土。樺太は両国混住。

択捉島以南の北方四島は日本の領土。樺太は両国混住。

~1875年(明治8年)、サンクトペテルブルにて樺太千島交換条約が締結~

両国混住だった樺太の権利を全てロシアに譲る代わりに、千島列島は日本が頂きます

でも、択捉島以南の北方四島(国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島)は1855年から日本の物なので、千島列島の範疇には含まれていませんからね~と取り決めた条約。

樺太はロシアの領土。千島列島は日本の領土。

樺太はロシアの領土。千島列島は日本の領土。

~1905年(明治38年)、アメリカ東部の都市ポーツマスにてポーツマス条約が締結~

日露戦争後、南樺太が日本の領土になりましたよ~と、取り決めた条約。

千島列島も南樺太も日本の領土。

千島列島も南樺太も日本の領土。

~1951年(昭和26年)、アメリカのサンフランシスコにてサンフランシスコ平和条約が締結~

戦争に負けたので、千島列島と南樺太を放棄しますと取り決めた条約。

しかし、実際は北方四島も、ロシアの実効支配下に置かれたまま。

ここで重要なのが、1875年(明治8年)に締結された、樺太千島交換条約。

千島列島と南樺太は放棄するが、択捉島以南の北方四島(国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島)は1855年から日本の領土というのが、北方領土問題の核心です。

樺太も千島列島もロシアの領土。北方領土は日本の領土。

樺太も千島列島もロシアの領土。北方領土は日本の領土。

一連のあらましが書かれた資料や、追い出されてしまった住人達の話などを読むと、北方四島までは確かに日本の領土なのねーとかなり納得・・・。

ワタクシの中で、新たな認識が誕生した瞬間でありました。

無料の望遠鏡もあったので、20km程先にある国後島を望んでみると、普通に民家らしき建物も見えるではありませんか~。

あれがムネオハウスならネタ的に面白いのですが、詳細は不明。

だけど、こんなに近くにあるのだから、やはり返してもらわにゃいかんな~という想いを胸に北方領土館を後にしたのでした。

返せ!北方領土!!

島を返せという国民の総意を表した『叫びの像』

2008/08/19 14:21 島を返せという国民の総意を表した『叫びの像』

おまけ。

北方領土館にあったアザラシの剥製。

2008/08/19 14:08 北方領土館にあったアザラシの剥製。目が・・・。


R244野付国道~R243パイロット国道を南下。

標津町を抜けて別海町へ。

天気は曇り、気温は14度。

さすが道東、旭川基準ではすでに10月半ばの気温です。

根室半島近辺には、適当なキャンプ場は無さげな上に、夕方から雨。

幸い、ライダーハウスが幾つかあるようなので、今夜はライハ泊でいこうかと思います。



R44根釧国道にて一路根室市へ。

途中、道の駅スワン44ねむろにて休憩をとっていると、通りすがりの地元のオジサンに話しかけられ、四方山話。

オジサンいわく、この辺りでは平均気温が夏でも17度くらいだとの事。

ワタクシの住んでいる旭川は、夏は30度超え、冬はマイナス20度近くという寒暖の差が激しいところ。

同じ北海道でも、地域によってこんなにも気候の違いがあるのですね。

そういえば、冬でもセミが鳴いてる地域があるって話も聞きますもの~( ̄▽ ̄)


根室市街地からr35根室半島線へ。

右回りでグルッと一周を目指し、17時半頃、本土最東端、納沙布岬に到着です。

初めての土地なので、一通り探索~!

北方館 望郷の家やオーロラタワーも気になりましたが、何しろ既に時刻は夕方。

施設がクローズしているのはもちろんの事、日没も間近に迫っています。

今日の寝床に向かって出発で~す!


引き続き、r35にて根室市街地方面へ。

しばし走ると、先程、道の駅で話したオジサンに勧められたライダーハウスお母婆に到着。

併設の居酒屋で1500円以上飲み食いするのが宿泊の条件ですが、ライハ内での飲酒は禁止、禁煙、10時消灯が厳守です。

そんでもって、本日の同宿ライダーは5名様。

居酒屋で楽しく飲み食いしつつ、今日も1日満足じゃという感じで終了~。

走行距離 181kmくらい


2018追記

ライダーハウスお母婆について

2011年くらいで、閉鎖になったようです。残念!

ポーツマス条約について

朝鮮・満州での利権を巡って起こった日露戦争。(1904~1905年)

アメリカの斡旋によって、1905年(明治38年)に締結された、ポーツマス条約ですが。

日本の圧倒的勝利というより、アメリカに仲介してもらって、何とか戦争を終わらせてもらった的な顛末のようです。

実際、ロシア側は「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロシアは負けてはいない。まだまだ継戦も辞さない」という強硬姿勢でヤル気満々。

一方、日本側は兵力的にも金銭的にも既に限界で、これ以上の戦争の継続は不可能であると判断しての和平交渉だったそう。

そんな経緯もあった為、講話の条件も

  • ロシアは満州・朝鮮から撤兵。
  • 日本に樺太の南部を割譲。
  • しかしながら、戦争賠償金には一切応じない。

という、ロシア側の最低条件で交渉が締結されたとの事。

結果、日本側は、当時の国家予算4年分にあたる20億円の赤字。

ようやくながらの辛勝です(;´Д`)


ちなみに、昨年(2017年)、旭川市にある北鎮記念館(屯田兵や旧陸軍第七師団に関する資料館)を探訪致しまして。

旧陸軍第七師団は、日露戦争に出征し、旅順攻略戦・奉天会戦にも参加したそうですが。

館内には、日露戦争当時の戦闘を再現したジオラマなども展示されておりました。

巨大なロシアの戦車に立ち向かう、日本製のミニ戦車や、爆弾搭載の竹槍で巨大戦車に突撃する日本兵の姿など・・・ワタクシ( ゚д゚)ポカーン。

愚かすぎで、ある意味強く印象に残りましたw

ロシアに勝ちを譲って貰えて、本当に良かったなと思います(;´Д`)

北鎮記念館にて。日露戦争時の遺品等。

北鎮記念館にて。日露戦争時の遺品等。


日常のあれこれと【四国歩き遍路2巡目(第二部)】はこちらで



本土最東端納沙布岬到着~。

2 件のコメント

  • 不思議なことに四国中央市にもザンギなる鶏の唐揚げがそこら中にあります。
    市中の焼き鳥屋さんには必ずイチオシで置いてますが、いわゆる串の焼き鳥はありません。
    焼き鳥食おか~!はイコールでザンギとなりまして、焼いてないのに焼き鳥とは是如何に?w

    • 詳しくはないですが、ザンギは北海道の釧路が発祥みたいですね~。

      ちなみに、北海道室蘭市の郷土料理、室蘭やきとり=豚串。

      函館グルメの鉄板、ハセガワストアのやきとり弁当も豚串ですw