某バーベキュースペース付施設にて起床!
5時起床。
今日は朝から晴れ。清々しい青空です。
出発準備をして→昨日のオジサンにおススメされた『奈曽の白滝』に再チャレンジ!!
はい!こちら。
国指定名勝。別称は『奈曽の白瀑谷』
案内板曰く、高さ26m、幅11mの容姿の整った滝。
この『奈曽の白瀑谷』がある小滝集落は古くから鳥海山の修験者が集団で移住し、山駆けする行者達を世話する、秋田県でも珍しい宿坊の村であったとの事。
また、この『奈曽の白瀑谷』自体が荒行の場でもあったと言われています。
その為、滝と向かい合うように修験と深い関わりがある『金峰神社』が奉られており、ワタクシが行った時も近所のお年寄り総出で掃除などされておりました。
荒行といえば滝行もその一つ・・・( ̄ー ̄)
しかし、この水量の滝に打たれた時点でかなりの荒行・・・むしろ危険度高過ぎと思われる((((;゚Д゚))))
そんなわけで。9時40分、夜営地出発。
(ちなみに、昨日の様子はこちら↓↓)
おススメスポット②へ!
10時25分、途中迷いながらも昨日のオジサンのオススメ②『元滝伏流水』に到着。
落差約5m、幅約30m。
鳥海山に染み込んだ雨や雪解け水が伏流水として長い年月をかけ沸きだしているもの。
湧き出す水の水温は一年を通してほぼ10度。岩肌一帯から一日5万㌧もの水が湧き出している。
うむ、マイナスイオンたっぷりな感じである。
冷たい湧水と周囲の気温との温度差からか、周囲には川霧が立ち込め、なんともいえない清涼感。
嫋やかに絹糸のような水が流れ落ちる様は『奈曽の白滝』より好みかもしれません。
10時43分、『元滝伏流水』出発。
南極に夢を馳せる!①
r58象潟矢島線→R7羽州浜街道を北上し、11時13分、今度は『白瀬南極探検隊記念館』に到着。
こちらは入場料300円。「探検と極地の総合ミュージアム」を目指して建設された、日本でも数少ない記念館だそうです。
パンとチーズで小腹を満たし、11時35分に記念館入場。
常設展の他に、「白瀬日本南極探検隊百周年記念プロジェクト~南極の氷に挑んだ日本の船~木造機帆船開南丸と歴代南極観測船」という特別企画展もやっているようです。
ちなみに、この記念館の看板ともなっている「白瀬南極探検隊」とは何ぞや!?
時代を遡れば、人類が南極大陸を発見したのは1820年頃・・・。
1830年~1910年代にかけて、世界では北極・南極という極地への関心が高まり、各国の探検家は挙って極地探検を志していたそうです。
1861年に秋田県由利郡金浦(現秋田県にかほ市)に生まれた「白瀬 矗」も少年時代に師から極地探検の話を聞き、探検家を志したとの事。
その際に師から教えられた探検家を志す者への五つの戒め・・・
- 酒を飲まない
- 煙草を吸わない
- 茶を飲まない
- 湯を飲まない
- 寒中でも火にあたらない
「白瀬 矗」は生涯この五つの戒めを守り続けていたそうです。
・・・初っぱなから守れぬ!!(;´∩`)
その後、1909年にアメリカの探検家「ロバート・エドウィン・ピアリー」が人類初の北極点到達。
1910年「白瀬 矗」は南極探検隊隊長として、彼の壮大な夢とロマンに共感した30人の男達と共に、大勢の民衆と「大隈 重信(南極探検後援会会長)」の【一発の実弾は百発の空砲に勝る】という応援の言葉に見送られつつ日本を旅立ちました。
その際の隊員募集の新聞広告。
安い棒給。凄まじい寒気、何ヵ月も続く暗闇。危険絶え間なく生還覚束なし。
身体強健にして係累無き者、身長157.6cm以上、年齢25才以上40才未満の者として堅忍不抜の精神を有し、かつ多量の飲酒せず、視力強健、歯の力強健にして梅干しの種を砕き得る者。
・・・死して屍拾うものなし 死して屍拾うものなし・・・(←これは嘘)
日本各地から300人以上もの応募者が殺到したそうです。
2014年1月の最近の話だと、まるで火星移住の募集に何千人もの応募者が!!並みに胸を熱くするお話です。
そんな、気合いと根性に満ち満ちた命知らず君たちの憧れの地『南極大陸』ですが、実は平均すると2290mもある高原なんですって~!!(@_@)
北海道でいえば旭岳クラス。
なので、海に氷が張ってるだけの北極点より寒いんだそうだ。
しかしながら、南極大陸の中で低い標高(29.18m)に位置する昭和基地の真夏は札幌の真冬より少しだけ暖かいそうで・・・。
・・・という事はだ!?
札幌より寒い場所に適応しているであろうこの身体。
夏限定でなら南極滞在も余裕と見たw
ちなみに、昭和基地の最低気温は-45.3℃くらいだそうで、これまた過去の旭川でも-41℃は記録されているので、人の生きていけない環境ではないって事ですね~(・∀・)
南極に夢を馳せる!②
こちらは南極探検隊の乗り込んだ船「開南丸」の実物大復元模型です。
全長30.4m、204t、18馬力・・・小っちぇ~・・・( ̄~ ̄;)
先日視察してきた、気仙沼で解体が始まった「第十八共徳丸」で全長60m、330t。
(ちなみに、第十八共徳丸視察についてはこちら↓↓)
昭和31年のタロとジロ時代の「宗谷」が全長77.5m、2700t、4800馬力
現在の最新鋭南極観測船の「新しらせ」だと全長138m、12500t、30000馬力。
こんなちっぽけな船ですから、スポンサーにもなっていた大阪朝日新聞社では、
・・・と言ったかどうかは定かではありませんが。
とにかく無事に帰ってこられるわけがないと特派員等は特に乗せず。
自称千里眼という「長尾郁子」という女性を起用して、その女性が透視したと称する開南丸の超能力透視記事を堂々と紙面に掲載するという、今では考えられないような事を行っていたそうですw
ちなみ「開南丸」の裏側は当時の装備等が展示されています。
こちらは突進隊用の天幕。
隊員が着ている防寒服は樺太犬の毛皮を二重に縫い合わせたもので、全重量は約3貫(約10㎏)もあったそうです。
寝袋もまた、樺太犬の毛皮製。
現代ならば、動物愛護団体からよっぽどのクレームが付きそうな仕様です( ̄▽ ̄)
南極に夢を馳せる!③
さて。歴史の教科書を紐解いてみると、世界で初めて南極点に到達したのはノルウェーのアムンセン。
イギリスのスコット隊との激しい南極点到達レースの末、スコット隊は全員が死亡という結末で終わったわけですが。
1910年、2艘の船が南極に向けて出発した。ノルウェーのアムンセン隊とイギリスのスコット隊。一方は大成功して帰還したのに対し、他方は敗れた上に帰途に全員遭難死する。なぜそうなったのか?「勝った側」と「敗れた側」を同時並行的に叙述し、検証する。
南極点到達の翌1912年、ノルウェーの船・フラム号がアムンセン隊を収容するためにロス海の鯨湾に来た際に出会ったのが、荷揚げ途中の白瀬南極探検隊一同でした。
「英国 スコット隊の船 テラノヴァ号744t」「ノルウェー アムンセン隊の船 フラム号404t」に比べ、どう考えてもお粗末すぎる「開南丸 204t」の規模にフラム号の乗組員達も正気の沙汰ではないと驚いていたといいます。
なんてったってワタクシのカブちゃんで7馬力。18馬力といえばトラクターとか草刈機レベルっすから
その程度の船で「吼える40度、狂う50度、絶叫する60度」とも呼ばれる南極の凄まじい暴風圏を抜けてきた「開南丸」
他人様から見るとまさに狂気レベルw
南極点到達レースにはアムンセンに負けてしまった我ら白瀬南極探検隊ですが、南緯80度5分西経156度37分一帯を『大和雪原』と名付けて日章旗を立てた他、様々な南極映像と共に無事帰国したそうです。
南極に夢を馳せる!④
その後の「白瀬 矗」は借金まみれの不幸不幸な流れるヤシの実人生模様。
辞世の句は【我れ無くも 必ず探せ 南極の 地中の宝 世にいだすまで】
豊かな青春、惨めな老後・・・ある意味、天晴れな生き方だと思います。
そんな白瀬南極探検隊の貴重な記録映画やら、第一次隊出発時の朝日ニュースやら、はたまたペンギンが撮影した動画、南極の生き物達、昭和基地が出来るまで等々、現在の南極観測隊資料やら南極関係の資料が盛り沢山!
その他、オーロラドームでは、昭和基地から見るオーロラ、スペースシャトルから見るオーロラ、北海道で観測されたオーロラ、アラスカのオーロラ等々、オーロラ三昧に浸れたり。
ちなみにこちらは、白瀬隊が到達出来なかった南極の極点到達を日本で最初に実現した雪上車。
第九次越冬隊にて使用され、内部はこんな感じ。
車体の色が黒いのは太陽の光を集める為だそうです。
正直、300円でこの充実感は素敵過ぎ!
時間さえ許すなら、まだまだ楽しめたところですが、地理に不案内なワタクシは明るいうちに寝場所を探さねばならぬのです!!(>_<)
後ろ髪を引かれつつ、16時、余裕を持って記念館を出発。
本日の寝場所はこちら!
R7を北上し→由利本荘市に突入。
- 人口 7万758人(2024年4月1日時点)
- 面積1209.59㎢、人口密度58.5人/㎢
- キャッチコピーは「人と自然が共に生きるまち ゆりほんじょう」
- 秋田県内最大面積の市町村。県の10分の1の面積を占める。
- 特産は、フランス鴨・秋田由利牛・松皮餅・本庄うどん・本庄ごてんまり・本庄ハムフライなど
R107本荘街道~R105刈和屋街道~住宅街と迷いに迷ってたどり着いたのが『三望苑』
到着時刻は余裕で18時過ぎだったため管理人の姿も見当たらず。
もちろん、キャンプをしている人の姿も見当たらずw
潜入調査をしてみると、広い炊事棟は椅子とテーブル、電気付き。
トイレは炊事棟から離れているものの、住み心地は良さげな感じで今日のキャンプ地決定で~す!(・∀・)
イオンで買った酢豚をツマミに晩酌→就寝。
いつ北海道にたどり着けるのかわからんが、今日も充実!!
※『三望苑』は施設の老朽化に伴い、令和5年6月30日をもって閉鎖。
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走行距離 65.5km
- カセットボンベ 105円
- 白瀬南極探検記念館入館料 300円
- 酒・ツマミ・食料 1014円
計1419円
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