商店街事務所にて起床!
4時44分起床。
朝御飯は、昨日仕入れた299円の「ハンバーグ弁当」です。
昨日のオジサンがやってきて『あなたの心に映った石巻を教えてください』と書かれた名刺大の紙を渡されました。
石巻市で写した写メを指定のアドレスに送ると、NPO法人石巻スポーツ復興サポートセンター石巻地区復興応援隊のHPにコメント付きで掲載されるそう。
「帰ってからでもいいから送って」と仰ってましたが・・・。
ワタクシが写した物といえば「猫」とか・・・。
「トイレ」とか・・・。
「廃屋」とか・・・。
「ファンシーなガラクタ」とか・・・。
「野営候補地」とか・・・w
「猫」は良しとして、後は被写体として確実に問題があるかとww
しかしながら、一宿の恩義は果たさねばなりません。
とりあえず、わずかな風景写真と石ノ森萬画館、餃子の写真でも帰ってからアップしてみたいと思います。
身支度をし7時50分出発。
本日は牡鹿半島を廻ってから、内陸部に移動する計画です。
(昨日の様子はこちら↓↓)
牡鹿半島へ!
まずはR398からr2石巻鮎川線へ。
この辺りは石巻市内も含め津波被害が大きかった地域が多く、道路も未だ復旧工事中のところばかり。
砂利ダートまではいかなくても、土ダートな路面にあちらこちらで遭遇します(+_+)
アスファルト道路の偉大さを肌身に感じつつの走行。
しかし、鮎川から先、r220牡鹿半島公園線(牡鹿コバルトライン)はこの先通行止めという事で敢えなくUターンとなりました。
結局、少し戻ってr41女川牡鹿線を北上、女川方面へと向かう事に。
とりあえず、牡鹿半島は2/3周巡って終了って事で。
※ツーリングマップル東北2013には、鮎川近辺は「平成の大津波で町は全壊」と記載あり
東北電力女川原子力PRセンターを視察!
10時半、そろそろ未舗装路にも飽きて来たな~という頃、女川町に突入。
- 人口 6147人(2023年3月1日時点)
- 面積65.35㎢、人口密度94.1人/㎢
- キャッチコピーは、「いのち」と「くらし」をみんなが紡ぐまち
- サンマの水揚げ量は全国でも有数
- 特産は、牡蠣・ホタテ・ホヤ・銀鮭・秋刀魚など
『東北電力女川原子力PRセンター』の前を通りがかると「お気軽にお立ち寄り下さい」という看板を発見しました。
お言葉に甘えて、お気軽に立ち寄ってみる事に致します。
受付に行ってみると、さっそく来館記念ということでボールペンを頂く。
所詮、このボールペン代の出所は東北県民から徴収した電気料・・・(`Δ´)
・・・でも有り難く頂くw( ̄▽ ̄)
そんなわけで『東北電力女川原子力PRセンター』の視察開始です。
まずは『東日本大震災による女川原子力発電所の被害状況の概要、及び更なる安全性向上に向けた取り組み』と題された映像資料を視聴。
『女川原子力発電所』は、震災で高さ13mもの津波に襲われたそうですが、建屋のある敷地が津波より1mくらい高かったので、建屋に被害が及ぶ事は無かったそうです。
東北電力曰く「建築の際の入念な推考で高さを決めた結果、今回の震災は無事に済んだ」という事ですが!?
1m程度の差って、極々僅かじゃないですか!?
更に想定外の津波が来たらどうすんの!?
また、予備の電力を引っ張ってくる送電線も5本中、1本が生き残っていた為、発電所内の電力供給もなんとかなったそうです。
他の4本は全滅かよっ!!(*`Д´*)ノ
一歩間違えば大惨事!そこ、威張るとこじゃないから!!
いくら原発の安全性を連呼されても、ますます不安は募るばかりです(;´Д`)
※女川原子力発電所は、2023年現在も運転停止中
さらに視察!
その他、『原子力発電のしくみ』
『女川原子力発電所』の50分の1サイズの模型を使って、原子力発電のしくみを学ぶことができるコーナー。
『1/2の原子炉模型』
原子力発電所の制御のしくみが分かる2分の1サイズの原子炉模型。
コントロール室にある操作盤の模型を操作しながら、動きと映像で原子力発電のしくみを学ぶことができるコーナー。
・・・などなど。無駄に経費がかけられているであろう玩具を数点見学し、お次は『地震体験コーナー』へ。
シートベルト付きの椅子に座ったまま地震を体験しようというもので「女川原発が立つ硬い地盤」での揺れ具合と「普通の地盤」での揺れの違いを体感する趣向。
まあ、大して感銘は受けなかったですw( ̄▽ ̄)
(北海道の泊原発PR施設視察の話も参考までに↓↓)
女川町民から聞いた震災の話
ワタクシ的に館内に並ぶ玩具よりも、よっぽど勉強になったのが受付の姉ちゃんから聞かせて頂いた話でした。
女川町内にあった自宅はすっかり津波で流され、今も仮設住宅に住まわれているとの事。
海沿いの町に暮らす民だけあって、幼い頃から「地震が来たら高台へ」という考えが徹底されていた事。
その甲斐あって家族も全員無事だったとの事。
ただ、残念だったのが、「ちょっと高台」に住んでいた方々。
特に、以前も津波を経験しているお年寄り達が、前の時も大丈夫だったから今回も平気だろうと判断した結果が祟って、800人以上がお亡くなりになったそうです。
また、311震災の際は近隣の住人の方々が、ここなら大丈夫だろうとPR館に集まっきたそうですが、震災当時のPR館はライフラインも止まり、食料もない状態。
通常は原発敷地内に一般人は入れないのですが、当時の女川原発所長が東北電力本社に掛け合って、敷地内体育館へ住人を受け入れたとの事。
食料は備蓄の分を解放し、東北電力社員は1日一食、避難者には1日二食。
水も飲料に関しては何とかなる程度にあり、数日後には他の支社からの応援物資もヘリで届き始め、何とか乗り切ったという事でした。
親戚に自衛隊員がいるそうで、被災者の方々に炊き出しはしていても、隊員は乾パンで凌いだという話も聞かせて頂きました。
まあ、ワタクシの身内の自衛隊員から聞いた話では、現地での隊員買い物禁止令があったそうですからね~。
理由は、自衛隊さんが通った後は全ての品物がごっそり消えてしまうから。
虫に例えるとイナゴだなw( ̄ー ̄)
女川町旧市街地へ!
11時45分『東北電力女川原子力PRセンター』を出発。
12時20分、女川町旧市街地到着。
街は全壊と聞いてはいましたが、あまりの荒廃具合に呆然とするワタクシ。
あれから2年以上の歳月が経っているはずなのに、以前の町の中心部ですら未だこのような状態です。
海に向けて手向けられた花が寂しげで、なおさら荒涼感を醸し出していました。
多分、東北以外の地域では震災の話もだいぶ風化してきているかと思いますが、まだ、復興は終わっていません。
重苦しい気持ちから抜け出せず、出発。
女川町を襲った津波は、最大津波高14.8m(最大浸水高18.5m、最大遡上高34.7m)
人口約1万人のうち、死者・行方不明者は827名にのぼり、町の住宅の約9割にあたる約3900棟が被害を受けた。
死亡率=(死者数+不明者数)/(死者数+不明者数+避難者数)×100としたとき、被災市町村の中で最も高い死亡率となったのが女川町の55.9%
きぼうのかね商店街へ!
r41からR398女川街道に入り高台に上がると・・・
このような案内板が現れました。
『きぼうのかね商店街』??
立ち寄ってみると、銀行・郵便局・交番など全てが仮設に集まっています。
そして傍らには長屋的な商店街も。
案内板を読むと、津波後、町中心街の建物は全てが流出。町内で買い物をする事もままならない状況で、商店の復旧が急務だったそう。
そんな中、海外の支援団体から資金面の援助があり、木造仮設商店街の構想がスタート。
建設地は宮城県が所有している女川高校グラウンドに決まり、2011年12月に工事が開始。
翌2012年4月29日に『きぼうのかね商店街』として晴れてグランドオープンを迎えたとの事。
ちなみに「きぼうのかね」とは、女川町民なら誰もが聞いた事のあるJR女川駅前にあったカラクリ時計の鐘の事だそうでして。
列車と共に流された4つの鐘のうち1つだけが瓦礫の中から発見され→鐘を商店街のシンボルとしているそう。
女川町で商売を続けたいと強く願う人々が、再起を誓って新しい一歩を踏み出したきぼうの町。
女川町の方々、そして被災地の方々全ての未来に幸いあれ。
その後、商店街近辺を探索しつつ・・・。
『きぼうのかね商店街』を立ち去り際、ジモティの兄さん(多分商店街の人)から声をかけられ「頑張って!」とペットボトルのコカ・コーラをお接待して頂きました。
頑張るも何も、ワタクシなんぞはただの道楽・・・(-_-;)
皆様方の方がよっぽど苦労されてるでしょうに・・・。
申し訳ない気持ちになりつつも、有り難く頂きました。
ただの通りすがりの一介の旅人へのご親切。
有難うございましたm(__)m
12時47分『きぼうのかね商店街』を出発。
※2023年追記 『女川高等学校』は2014年3月31日に閉校、『きぼうのかね商店街』は女川駅前に商店街が作られた為、2017年9月に営業終了。
横山不動尊へ!
その後、R398からr234稲井沢田線→r192石巻雄勝線で石巻市に戻り、r33石巻河北線→R45一関街道を北上。
一路、内陸へと向かいます。
道中にも建ち並ぶ仮設住宅。
山の方に見える工事車両は、おそらく住宅地を造成しているのかと思われます。
14時過ぎ、いい加減お腹が空いてきたので、通りがかりのスーパーにてランチタイム。
お馴染みのバゲット・チーズの組み合わせに、豚バラ巻きが本日のメニュー。
昼食後はさらに北上→登米市に突入です。
- 人口 7万3043人(2023年3月1日時点)
- 面積536.12㎢、人口密度136人/㎢
- キャッチコピーは「あふれる笑顔 ゆたかな自然 住みたい まち とめ」
- 農業産出額は東北地方第二位。
- 漫画家の石ノ森章太郎氏の出生地
- 特産は、米・黒毛和牛・天然うなぎ・はっと・油麩など
14時52分、日本三不動の一つ『横山不動尊』に到着。
お大師さん作とも言われる、国重要文化財の木造不動明王像が安置されているとの事でお立ち寄りしてみました。
参拝はしたものの、肝心の木造不動明王像は京都で入院中との事でお会いできず。残念!( ´△`) つーわけで、今日のミッションはこれにて終了~。 後は寝場所に向かうだけです。 R45を戻り→R342を北上からの、r36築館登米線→r1古川佐沼線を西へ。 途中、買い物をしつつ走りつぎ、17時前に『兵糧山公園』に到着。 某サイトには「温泉隣接の無料キャンプ場」と書いてありますが、マップルには記載がありません。 見てくれも普通に公園ですw とりあえず、調度良い東屋があったので今夜のキャンプ地に決定ざんす~!(・∀・) 東屋の隣には水場もあるし、駐車場にあるトイレも水洗で完璧。(寝場所から徒歩数十秒) 強いて言えば、水場の排水溝が詰まってるのが難点ですw 公園に隣接する『ヴィーナスの湯』は基本的に600円ですが、17時以降は400円。 露天はなかったけど満足できました。 コッヘルにコーンサラダとカツオの刺身、納豆をぶちこみ→刺身醤油、納豆のタレを投入後→ぐちゃぐちゃにかき混ぜたシロモノをツマミに発泡酒飲んで→就寝。 食べ物への冒涜に近い料理になるかと思いましたが、これがなかなかw( ̄▽ ̄) ※2023追記 兵糧山公園キャンプ場は、2020年3月からコロナ禍のため休止中→そのまま閉鎖の噂あり。 走行距離 149km 計2049円くらい 「ブログ村」と「ブログランキング」のランキングに参加中。
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2023追記
ヴィーナスの湯について
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